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Vercel の AI ネイティブ GTM 戦略 - YoY 80% を超える B2B SaaS の成長をどう再設計したのか

Vercel の AI ネイティブな成長戦略を、開発者向け B2B SaaS のマーケティング、セールス、カスタマーサクセス( CS )の再設計から読み解く。

鈴木凌介
約14,291文字約29分
VercelのAIネイティブGTM戦略 - YoY 80% を超えるB2B SaaSの成長をどう再設計したのか
サマリー
  • Vercel の AI ネイティブ成長戦略は、マーケティング、セールス、カスタマーサクセス( CS )を横断して、顧客ライフサイクル全体を再設計する取り組みである
  • AI は人件費削減ためではなく、調査、スコアリング、メール下書きなどの定型業務を担い、人のリソースをより価値の高い顧客対応へ移すために使われている
  • Vercel ではインサイドセールスを10人から1人に再編成しても、商談化率は横ばいを維持したとされる
  • GTM エンジニアは、 AI 、データ、 CRM / MA 、ワークフローをつなぎ、成長戦略の業務をプロダクトのように改善する役割を担う
  • 国内企業が学ぶべきことは、 AI ツール導入そのものではなく、営業生産性、商談化、パイプライン、サクセスのどこから業務を再設計するかである
  • 日本では技術や PoC 以前に、社内調整と担当者のキャリア設計を見落としやすい。合意形成への投資を過小評価しないことが重要である

Vercel の AI ネイティブ成長戦略とは何か?

本記事では、 GTM ( Go-to-Market )を「マーケティング、セールス、カスタマーサクセスを通じて売上成長をつくる仕組み」と捉え、日本語では主に「成長戦略」と定義しておきたい。 Vercel の AI ネイティブ成長戦略とは、マーケティング、セールス、カスタマーサクセス( CS )を個別最適するのではなく、認知から LTV までを一続きの顧客ライフサイクルとして設計し、その各所に AI エージェントと GTM エンジニアリングを組み込む成長戦略である。

開発者向け SaaS / クラウドプラットフォームである Vercel は、 PLG を土台にしながら、インサイドセールス、フィールドセールス、アカウントエグゼクティブ、カスタマーサクセスまでを AI 前提で組み直そうとしている。本記事では、その組織作りの裏側を読み解き、 B2B SaaS の成長戦略として何を学べるのかを考える。

Vercel」はギジェルモ・ラウチによって2015年に創設されたテックの会社だ。 ソフトウェアエンジニアであればグローバルで誰もが知っているオープンソースプロジェクトを生み出しており、今では世界的に利用される開発者向けクラウドプラットフォームへと成長した。

特に目を引くのは、その成長の速さだ。2015年の創業から、バリュエーションは2021年の25億ドル、2024年のシリーズ E で32.5億ドル、そして2025年には93億ドルだ。 2026年で、売上は3億4,000万ドルに達しており、前年比84% で急速に成長をしている。特に「v0」というプロンプトから良い感じの UI を生成するプロダクトがその成長を牽引しているとのことだ。

Vercel の ARR
2019–2026年
ソース: 公開情報をもとに作成。2025(5月)時点でARRは$200M。2025(end)では$290M~$305Mと推測される。
Vercel の ARR
項目変化率
2019$1M
2020$5M+400%
2021$21M+320%
2022$51M+143%
2023$86M+69%
2024$144M+67%
2025$290M+101%
2026(3月)$340M+17%

そして今、その Vercel は、マーケティング、セールス、カスタマーサクセス( CS )を通じて売上を伸ばす仕組み全体AI で再構築している。本記事ではこれを 成長戦略 と呼ぶ。海外の SaaS 文脈では、この領域は GTM ( Go-to-Market )とも呼ばれる。 その変化が最もわかりやすく表れたのが、インサイドセールスの再設計だった。

参考:

Vercel は AI でインサイドセールスをどう再設計したのか?

まずは、もっとも象徴的なインサイドセールスの例から見ていく。

「6週間でインサイドセールスチームが10人から1人になり、9人はアウトバウンドチームへ。」

「結果、リードの商談化率は横ばい。」

これは元 Stripe の役員、現 Vercel の COO を務めるジーン・グロッサーがポッドキャストで語っていたことだ。

具体的には、インバウンドではリードの調査・スコアリング・初回メールの下書きを AI( Vercel は Lead Agent と呼ぶ)が担い、1人の SDR がレビューして送る。

ここでいう「横ばい」は単なる雑感ではない。チームを組み替える前から、インバウンド全体の KPI (リードから商談への転換率、必要な顧客接触数、転換までの時間)を追跡したうえでの判断だ。10人体制のときと同じ商談化率を維持できたから、10人を1人にできた。

ジーンの言い方を借りれば、品質は「人と同じくらい良い」。担当が1人になっても、対応できる量が減ったり、転換率が落ちたりはしていない。むしろ応答が速くなったことで、転換までの顧客接触数は減った。 ただし、この話を「 AI で営業人員を削減した」と読むと、 Vercel の意図を見誤る。

なぜ Vercel は人員削減ではなくセールスチームの再編成を選んだのか?

ここで重要なのは、 Vercel の狙いが人を減らすことではなく、セールスのリソースを組み替えることだった点だ。

9人をアウトバウンドへ回せたのは、これが単なる人件費削減ではなく、 KPI を落とさずに体制を替えられたからだ。言語化できる、パターン化されたインバウンド対応なら、 AI が下準備し人が最後に承認する形で、以前の10人と同じ量と質を1人体制で回せる、と確認できた。この AI は OSS としても公開されている。(これは次回の記事で解説する予定だ。)

しかも、人件費を削減したわけではない。2024年から2026年にかけて、むしろ、従業員数は540名程度から900名程度へと66%増加している。

Vercelの従業員数の遷移
Vercelの従業員数の遷移

つまり、ここで起きているのは「人を減らすこと」ではなく、「仕事のしかたを設計し直すこと」。 そしてそれは、セールスだけの話ではない。マーケティングも、カスタマーサクセス( CS )も、同じ発想で作り変えられている。

参考:

なぜ今、成長戦略を「再設計」できるのか?

では、このような成長戦略の再設計は、なぜ今になって現実的になったのか。同じことを1~2年前に試みても成立しなかった。

理由は2つ。

  • LLM が前提を変えた
  • LLM の恩恵を得ることができる時間が限られている

ということ。

LLM が前提を変えた

少し前まで、 LLM を安定して動かすのは簡単ではなかった。フレームワークはなく、プロンプトにはセンスが必要で、ハルシネーションは無視できないリスクだった。

しかし今では、 LLM モデルは十分に賢く、ある程度は信頼でき、ハルシネーションは劇的に改善され、堅牢に動かすためのツールも整備されはじめてきた。そして最も重要なことに、そのコストは十分に安くなった

Vercel で GTM エンジニアなるチームを率いるドリュー・ブレッドヴィックは、 GPT-4.5 から GPT-5-nano にかけて、同等の性能を保ったまま価格が約100分の1に下がったと指摘している。

これは、筆者も同等の感覚を持っており、z.aiのオープンウェイトモデルの能力は Claude Sonnet と同等なのにも関わらず、その価格は10分の1程度に収まる。しかも、 Claude Sonnet より速い。

速く、信頼でき、安いなら、ユースケースの幅は一気に広がる。 LLM を業務に組み込めない理由は、もう技術的な制約というよりは、人間側にあるということだ。

参考:

アルファを作れる時間は限られている

セールスには、定義からして競争的な性質がある。そして、優位性は時間とともに崩れていく。しかし今はまだ、AI を活用することで優位な差を作れる

Fortune 500のリーダー企業ですら「 ChatGPT を皆に配って終わり」で止まっていて、後はイノベーションが起こることを祈るだけ、とドリューは指摘している。 比較的進んでいる企業でさえ、「 Claude Code を配って後は期待」だ。

どんなに優れたツールであっても、ただ配るだけでは、業務の流れそのものは変えられない だからこそ、まだ皆が使い切れていない今のこのタイミングが、先行者利益を作れる短い期間であると、ドリューは言う。

参考:

AI ネイティブな成長戦略はマーケティング、セールス、 CS の境界をどう変えるのか?

ここまでの話はインサイドセールスの例だが、 Vercel の成長戦略はそこだけに閉じていない。

多くの組織は、マーケティング、セールス、カスタマーサクセス( CS )を別々の職種として捉え、それぞれに別々の KPI を設定している。 Vercel の発想は逆だ。職種の壁の内側で最適化するのではなく、顧客との連続したサイクルとして成長戦略全体を設計し、その各所に AI を置く。

ジーン・グロッサーは、成長戦略を「顧客に触れ、売上を生むすべての機能」と定義する。認知から初回接点、商談、クロージング、オンボーディング、 LTV までを一気通貫で設計する。サイロのままでは、マーケが集めた文脈がセールスに渡らず、営業が知った顧客状況がカスタマーサクセスに届かない。AI を個人の生産性ツールとして配るだけでは、その溝は埋まらない。コンテキストが共有された一つのパイプラインとして流れる設計が前提になる。

以下、マーケティング、カスタマーサクセス( CS )、セールスの順で、 Vercel が各領域で何をしているかを見ていく(セールスのオペレーション詳細は後述の「業務の再設計」「 ROI 」の節で深掘りする)。

AI ネイティブな成長戦略は B2B マーケティングをどう変えるのか?

Vercel の主戦場はエンジニア向けマーケティングだ。 VP of Product のリー・ロビンソンが繰り返すのは、開発者体験( DX )そのものがマーケティングだということ。プロダクトの速さ、ドキュメント、 API の設計が、広告のコピーより先に顧客の判断を決める。

エンジニアは新しいツールに懐疑的で、買う前に自分の手で試したい。だからフリーミアムモデルが効き、 LP よりコードとドキュメントを読む。ジーンも、プロダクトの説明ではなく「状況に合った設定を教えてほしい」と顧客は言う、と指摘する。 Vercel はスターターキット(直ぐに試せるもの)で、説明を飛ばして本題に入れる。 CRO のケヴィン・ヴァン・ガンディは野球で言うと「三塁から始められる」と表現する。

マーケが担う領域は、認知獲得だけではない。サイトの表示速度は検索( SEO )に効く。 SEO は、生成 AI の回答に載りやすくする AEO ( Answer Engine Optimization, GEO, AIEO とも言う) の土台にもなる。ジーンは、性能→SEO→AEO という順で需要をつくる、と語る。 Vercel は自社で AEO を実践し、学びを記事や資料として公開している。 Core Web Vitals をその場で診断して送るようなアウトバウンドは、セールスが1件ずつ調べる前に、マーケが根拠付きの情報を渡す。いわば、リサーチの前半をマーケが済ませる設計だ。

信頼の設計もマーケの仕事だ。リーは、実際の体験以上に期待を持たせないよう戒め、約束は控えめに、届ける成果は約束以上にという姿勢と、自社プロダクトの改善だけを語ることを強調する。顧客の声は「聞く → 直す → 届ける → 伝える」のサイクルで回すが、最後の「伝える」を忘れがちだ、とも指摘する。ジーンも、50社の表層トライアルを追うより10社との深いコミュニケーションを優先すべきだと語る。この優先順位の置き方が、マーケティング、サクセス、セールスを同じ方向に揃える指針になる。

AI ネイティブな成長戦略はカスタマーサクセスと NRR をどう変えるのか?

本記事では、既存顧客の売上維持・拡大を測る指標を NRR( Net Revenue Retention )と表記する。米国では同義の NDR( Net Dollar Retention )という呼び方も一般的だが、意味と計算式は同じ。

マーケティングが新しい顧客に試してもらうきっかけを作った後は、カスタマーサクセス( CS )が、既存顧客が使い続け、利用を広げていくための接点を担う。

ここで見たいのは、 CS 専用チャットボットのような単体ツールではない。 Vercel が AI で支えているのは、ハイタッチ CS と既存顧客の維持・拡大そのものだ。

ハイタッチのパターンははっきりしている。顧客のプロダクトログを見に行くのではなく、顧客にコードを送ってもらい、こちらで解決する。 Next.js コミュニティで培った CS のやり方が、エンタープライズでも続く。 CS の時間は希少なので、リードのスコアリングとアカウントエグゼクティブによるリードの質の担保という 2つの軸で、本当に時間を使うべき顧客に集中する。 AI はその前段の選別と定型対応を引き受け、人は深い顧客サポートに向かう。

既存顧客側では、導入状況を軸にした設計が進む。社内に「誰が何を使っているか」のデータがあるから、次に届けるべき打ち手をルールベースで組み立てやすい。顧客のチーム単位での利用をマイルストーンにすれば、アップセルのタイミングも見える。解約した顧客への再アプローチや失注理由の分析は、セールスと同様、長らく「やるべきだったのに手が回らなかった」業務だ。既存の作業を速くするのではなく、そもそもできていなかったことに時間を使う。その領域こそ、 GTM エンジニアが AI で自動化するべきところになる。

サポートに近い領域でも数字がある。フィッシングやスパムなど不正利用報告の一次判定を AI 化し、チケットクローズまでの時間は 59% 短縮された(複雑なケースは人間がレビュー)。ジーンが語る航空会社の例は、問いの立て方が違う。「電話対応のコストを下げる」より 「なぜ電話が来るのか」「来週どう減らすか」 をすべての通話から抽出する。 CS は受動的な対応だけでなく、能動的なリテンション設計に寄っている。

顧客ごとに Slack チャンネルを張り、ボットが常駐して示唆を流す。既存顧客チャンネルにも同じ発想が及ぶ。ここでも HITL ( Human In The Loop ) は前提で、 AI が提案し、人が承認する。

AI ネイティブな成長戦略は SaaS のセールスをどう変えるのか?

最後に、セールスの領域を見ていく。

セールス領域では、パイプラインと顧客接点をプロダクトのように設計する。 CX をストーリーボードに起こし、プロトタイプし、アジャイルに洗練する。 Vercel は自社の AI クラウド上でそれをドッグフーディングしている。インバウンドのリード処理(後述)はその一例で、失注分析の自動化や反論のプロダクトへの還流など、セールスデータを「週次でバグ修正する」運用にもつながる。

ここで必要なのは、トップセールスの動きをベストプラクティスとして明文化することだ。それがなければ GTM エンジニアは AI に落とし込めない。リードの調査・初回メール・インバウンド振り分けといった「退屈でパターンのある」工程から始めるのは、再現性が高く、効果測定もしやすいからだ。

参考:

Vercel の GTM エンジニアは成長戦略で何をしているのか?

ここまで見てきたような再設計は、個別チームの努力だけでは続かない。そこで必要になるのが、成長戦略そのものを実装する職種だ。

この再設計を担うために、 Vercel は GTM エンジニア( Growth / Go-to-Market Engineer 。成長戦略のオペレーションを組むエンジニア)という職種を立ち上げた。 GTM エンジニアとは「Clay」が提唱したのが元で、2025年から急速に求人が増えてきている新しい職種だ。 国内でも LayerX を先頭に求人を応募する企業が出てきている。

セールスやマーケティングの課題を、 AI 、 MA 、ワークフロー等のツールを組み合わせ、オペレーションを試行錯誤して組んでいく、それが GTM エンジニアの仕事。要は、役割の垣根を上手く接合するクロスファンクショナルな職種である。

Vercel での GTM エンジニアの給与水準は $180,000〜$310,000 に設定されており、これは同エリアのアカウントエグゼクティブの給与水準の5%〜48%高く、サクセス、 FDE の給与水準の30%~50%高い。 GTM エンジニアは「居たらありがたい」職種というより、成長の中心に置かれた職種であることを示唆している。

Vercel の求人記載の給与レンジ
米国拠点・年俸レンジ(USD)
ソース: Vercel Careers 各求人ページ(2026年6月時点)。表示はレンジの下限〜上限。
Vercel の求人記載の給与レンジ
項目下限上限
Strategic Account Executive$330K$380K
Product Strategy & Operations$232K$348K
Enterprise Account Executive$280K$320K
GTM Engineer$180K$310K
Solution Architect$176K$301K
Global Benefits Lead$180K$220K
Account Executive$170K$209K
Forward Deployed Engineer$137K$207K
Developer Success Engineer$138K$206K
IT Ops Engineer$116K$174K

どんな人材が GTM エンジニアに向いているのか。ドリューによれば2つのタイプに分けられる。

  • プロダクトマネージャーに関心のあるエンジニア
  • 開発もできるセールス、あるいはソリューションエンジニア

いずれも事業やビジネスそのものに関心があり、「この商談に何が効くか」「この顧客は良い顧客か」といった実務の問いに答えられること、かつエンジニアリングのスキルがあることが条件になる。重要なのは、トップのセールスやマーケの動きをパターンにして、チーム全体の生産性と質を引き上げることにある。それだけで、事業の成長角度が変わるとドリューは言っている。

ただし、GTM Engineer の求人 には 4年以上のフルスタック開発経験 が要件として明記されている。State of GTM Engineering の調査では、この職種全体として年齢が20代前半に偏っているように見える。それでも実際に求められているのはジュニアではなく ミドルレベルの実装力 のようだ。 GTM の課題を自力でコードに落とし、プロダクションまで持っていけることが前提になる点には注意したい。

参考:

AI SDR は人間の仕事をどう変えるのか?

では、その GTM エンジニアリングによって、人間の仕事は具体的にどう変わるのか。 AI SDR の本質は、人間を置き換えることではなく、セールスの時間配分を変えることだ。 AI がリサーチや下書きを担えば、 SDR やアカウントエグゼクティブは顧客の課題を深く聞くコミュニケーションに時間を使いやすくなる。ここに、この変化の本質がある。

従来、 SDR の一日は「退屈な準備」に大きく消費されていた。最終的には Chrome で7個のタブを開かなければならないほどに。まずは、リンクドインでリードを検索し、会社についての情報を調べる。 ChatGPT に要約させ、データベースを見に行き、ようやく、白紙からメールの下書きを書く。こうした作業が時間の大半を占め、本当に価値を生む「顧客とのコミュニケーション」に割ける時間が減っていた。

AI がリードについて調査し、最終的にメールの下書きまで作るところを担うと、労働時間は同じまま、中身が入れ替わる。 Vercel の事例では、1リードあたりに必要なマニュアルの作業は8回から4回へ半減したと、ドリューは分析している。

これは業界全体の課題に直結する。ジーンによれば、セールスが実際に顧客と向き合っている時間は、過去20年の間ずっと全体の3〜4割程度にとどまってきた。残りは調査業務やフォローアップといった定型作業だ。 AI がその業務を引き取れば、顧客と向き合う時間を7割まで引き上げられる。ジーンはそこに可能性を見ている。

そして、人が集中すべき領域は明確だ。顧客の80%は、アップサイドを狙うためではなく、損失やリスクを避けるために買う。つまり、顧客の課題を深く聞き出すコミュニケーションこそ、 AI ができない人の仕事だ。 AI が引き受けるのは退屈な部分。その代わり、人はより深く顧客に向き合うことができる。

参考:

Vercel の AI SDR の ROI はどれくらいか?

この変化は、思想だけではなく数字にも表れている。ただし、ここで見る ROI は該当事例の範囲に基づくもので、全社全体の ROI とは分けて読む必要がある。

ここで経営の視点で、数字を一つだけ押さえておきたい。

Vercel が自社で運用している AI は、年間の運用コストが約6万ドル。それに対して、削減・創出した金額は年200万ドルを超える。 ROI にしておよそ32倍だ。しかもこの AI は、ドリューが週末にコードを書き始め、約1週間で形になった。

注目すべきは、何に時間がかかったか。開発は1週間。だが、社内を説得して本番投入にこぎつけるまでに、さらに5週間を要したとのこと。つまり、最大のボトルネックは技術ではなく、組織の合意形成だった。アレックス・リーバーマンは、導入を先送りする側に向けてこう言う。

「 AI の導入をまだ踏み切れない人がいるなら、その人が年200万ドルの効果とゼロの差を塞いでいる。技術ではなく、あなた自身がボトルネックだ。」

経営層、あるいはマネージャー層にとっての示唆は明快だ。 ROI はすでに証明されている。問われているのは、技術を評価する力ではなく、組織を動かす意思決定にある。

参考:

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国内企業は Vercel の成長戦略から何を学べるのか?

では、この Vercel の事例から我々、国内企業はどう学ぶか。学べるのは、 AI ツールを配ることではなく、どの業務を、誰が、どの KPI で再設計するかを決めることだ。特に営業生産性、商談化、パイプライン、カスタマーサクセスのどこから小さく検証するかが重要になる。

ジーンが取引先と話すなかで感じているのは、主に米国の大企業側の空気感だ。経営トップから AI 導入が全社方針 として打ち出され、ツールの契約では AI 関連が通りやすい。まだ言語化されていない予算枠がある、という話である。注意したいのは、表向きの AI 関連の数字の一部が、本番導入ではなく PoC に流れているお金(予算・ PoC 契約)だという点だ。1年試して継続するか未定のまま計上されている。ベンダー側の言葉にすると、 ARR ( Annual Recurring Revenue )ならぬ ERR( Experimental Run Rate Revenue 。「実験的に計上されている売上」)と呼ぶ。本当に価値が証明された売上かどうかは、まだ分からない。

ただ、多くの組織では、まだその段階にない。 2026年4月、ラグザス( AI スクール運営)が全国のビジネスパーソン3,000人を対象にした民間調査では、従業員1〜300人の中小企業の 59.0% が「導入の予定はない・必要性を感じない」と回答した(日本経済新聞の報道)。同調査で、 AI ツール等を何らか活用しているとみなせる導入率は、従業員5,001人以上の大企業で 64.7%、中小企業では 23.7%。約2.7倍の格差だ。大企業でも「導入予定なし」は25%にとどまるが、中小では「関心はあるが進め方がわからない」が11%と、焦りより手がついていない実態が強い。

つまり、米国でジーンが見ているような「ゆるい AI 予算」と「PoC に流れているお金」の話の前に、そもそも導入そのものに踏み出せていない層が厚い。 Vercel の事例が示すのは、いずれその壁を越えたあとに効く設計論でもある。 PoC のお金と本番の ARR を分けて見る視点は「海外の先端企業の話」として先読みしつつ、当面はどの業務から・誰が・何を KPI に小さく実証するかの方が、いまの国内企業では現実的な問いになりやすい。

参考:

国内企業は変革をどう進められるのか?

国内企業が AI を実務に載せるには、ツール選定や PoC より先に、変革の進め方を設計しておく必要がある。止まる理由は実装だけではない。セキュリティ、同規模の参照事例の少なさ、部門横断の KPI とガバナンス、事業設計、担当者の役割移行。いずれもクリアする必要がある。 Vercel の一例として、 Lead Agent の開発は約1週間なのに対し、本番投入の合意までさらに5週間かかった(ROI)。組織側がボトルネックになりうることの例示だ。コンセンサスを重んじる日本の組織では、セキュリティやガバナンスと並んで、社内調整担当者のキャリア設計を見落としやすい。

McKinsey は社内変革プロジェクトの約70%が目標未達、一方で企業が変化に本当に投資していると定着確率は約30%上がるとする。失敗の多くは社内の抵抗かマネジメントの実際の行動に帰着する。エリン・メイヤーが「 The Culture Map 」で対比するのは、合意を重んじる文化は決めるまで時間がかかる一方、いったん決まれば実装は速い、という特徴だ。だからといって合意が固まるまで止まるわけではなく、関係者を巻き込みながら小さく進めることが現実的だ。その過程に要する時間を「コスト」と捉えるか「投資」と捉えるかが、 AI を実務に載せられるかの分かれ目になる。

「経営が決めたから従え」だけでは定着しない。担当者が変化に乗るには、自分の仕事がどう良くなるかが見えている必要がある。 Vercel が示したのは人員削減ではなく仕事の再設計だ。たとえば SDR が調査やメール下書きから、顧客と向き合う時間に移る。そうした変化を言葉にすること。小さなプロトタイプ、HITL、 GTM エンジニアに相当するクロスファンクショナルな役割への予算。こうした要素が、抵抗を協力に変える。まず考慮すべきなのは AI SDR のテンプレートではなく、合意形成とキャリアへの人への投資だ。

参考:

まとめ

急成長を続ける Vercel は、マーケティング、セールス、カスタマーサクセス( CS )を含む成長戦略全体を AI で再構築している。インバウンドの定型業務を自動化してチームのアロケーションを変えても、従業員数は66%増え、商談化率も維持されている。起きているのは人の削減ではなく、仕事の再定義だ。

その背景には、 LLM が十分に速く、安く、信頼できるようになったこと、そしてツールを配るだけでは業務は変わらないという認識がある。 Vercel は職種ごとの最適化ではなく、認知からオンボーディング、 LTV までをひと続きの顧客サイクルとして設計し、その各所に AI を置く。マーケティングは開発者に試させ、状況に合った設定を教える。サクセス・ CS はハイタッチの支援と、導入状況を軸にした既存顧客の維持・拡大を支える。セールスはパイプラインをプロダクトのように設計する。これを実装するのが GTM エンジニア(成長戦略をコードとワークフローに落とす職種)だ。

AI が引き受けるのは調査や下書きといった退屈な部分だ。その分、人は顧客の課題を深く聞き出すコミュニケーションに時間を使える。この AI の ROI は約32倍。それでも本番投入を最も妨げたのは技術というよりは、組織のコンセンサスだった。

米国のような PoC 予算以前に、そもそも導入に踏み出せていない組織も多い。それでも設計の問いは同じだ。どの業務から始めるか。どの組織が担うか。どの指標で測るか。 国内ではさらに、 McKinsey が指摘するように変革の約7割は目標未達に終わり、社員の抵抗とマネジメント行動が主因になりやすい。 Vercel の事例は、技術より組織側に時間がかかりうることの一例だ。コンセンサスを重んじる文化では、その調整コストとメンバーのキャリア設計を過小評価せず、合意を取りながら小さく進めることが現実的だ。

各領域の具体的な実装は、この先の別記事で順に分解していく。

  1. AI SDR エージェントの作り方

よくある質問

Vercel の AI ネイティブ成長戦略とは何ですか?

Vercel の AI ネイティブ成長戦略とは、マーケティング、セールス、カスタマーサクセス( CS )を一続きの成長プロセスとして設計し、 AI エージェントを組み込む取り組みのこと。

GTM とは?

GTM( Go-to-Market )とは、マーケティング、セールス、カスタマーサクセス( CS )を通じて顧客を獲得し、売上を伸ばす仕組み全体のこと。海外の SaaS 企業でよく使う略語で、日本語では 成長戦略市場投入戦略 に近い。

NRR ( Net Revenue Retention )とは?

NRR( Net Revenue Retention 、売上継続率)とは、既存顧客からの売上が、解約やダウンセル(契約縮小)を差し引いたあとも、どの程度維持・拡大しているかを示す SaaS の指標。100%を超えていれば、新規獲得がなくても既存顧客だけで売上が成長している状態を意味する。アップセル、クロスセル、利用量の増加が解約・ダウンセルを上回るほど NRR は高くなる。 B2B SaaS ではカスタマーサクセス( CS )の成果を測る代表的な KPI のひとつ。

米国では同義の NDR( Net Dollar Retention )という表記も使われるが、本記事では NRR に統一する。本文の CS と NRR のセクション で述べた「既存顧客の維持・拡大」は、まさに NRR を押し上げる設計と読める。

GTM 戦略と B2B マーケティング・営業戦略は何が違うか?

GTM 戦略は、マーケティングや営業戦略を個別に見るのではなく、認知、商談化、受注、オンボーディング、継続利用までを一体で設計する点が違う。 B2B SaaS では CS も含まれる。

Vercel は成長戦略を AI で再構築しているとは、具体的に何をしているのか?

マーケティング、セールス、カスタマーサクセス( CS )を含む成長戦略全体を、ひと続きの顧客サイクルとして設計し直している。リードの調査・スコアリング・初回メール下書きの自動化、開発者向けマーケ( AEO やスターターキット)、ハイタッチ CS 、パイプラインのプロダクト化など、領域ごとに AI を組み込む。実装を担うのが GTM エンジニアという職種だ。

Vercel は AI 導入でセールスを減らしたのか?

結論から言うと、削減していない。インサイドセールスは6週間で10人から1人に組み替わったが、商談化率は横ばいを維持している。2024年から2026年にかけて従業員数は540名程度から900名程度へと66%増えており、起きているのは人の削減ではなく仕事の設計し直しだ。

GTM エンジニアとは何か?

GTM エンジニアとは、 AI 、データ、 CRM / MA 、ワークフローを使って、マーケティングやセールスの業務を設計・改善する職種。 Vercel では成長の中心に置かれた職種として位置づけられている。

AI ネイティブな成長戦略と従来の成長戦略は何が違うか?

AI ネイティブな成長戦略は、既存業務に AI ツールを足すのではなく、顧客接点や社内オペレーションそのものを AI 前提で組み直す点が異なる。人間が最終判断に入る HITL( Human In The Loop )も重要な設計要素だ(→ HITL とは?)。

HITL とは?

HITL( Human In The Loop 、人間参加型。 human-in-the-loop と表記されることも多い)とは、 AI や自動化システムのフローのなかに、人の判断・確認・修正を組み込む設計のこと。

たとえば、 AI がメールの下書きを作り人が送る前に確認する、画像分類の結果を人がラベル付けして学習データにする、自信のないケースだけオペレーターに回す、といった形がある。完全自動化ではなく、精度や責任・コンプライアンスの観点から人を介在させる。人の承認、編集は品質管理だけでなく、システムやモデルを改善するためのフィードバックにもなる。

なぜ今、成長戦略の再設計が現実的になったのか?

主な理由は2つ。第一に、 LLM が速く・信頼でき・安くなり、業務への組み込みが技術的に現実的になったこと。第二に、 ChatGPT や Claude Code を配るだけでは業務は変わらず、業務フローごと設計し直す企業にまだ先行者利益が残っていることだ。

AEO, AIEO, GEO ( Answer Engine Optimization )とは何か?

生成 AI の回答( ChatGPT 、 Perplexity 、 Google AI Overviews など)に載りやすくするための最適化のこと。 Vercel では、サイト性能→SEO→AEO という順で需要をつくり、 Core Web Vitals の診断結果を送るアウトバウンドなど、根拠付きの情報を先に届ける設計にしている。

Vercel の事例を、自社の成長戦略にどう読み替えるか?

米国大企業には PoC 向けの AI 予算がある一方、国内の調査では中小規模の組織の59%が「導入予定なし」と回答している。 PoC 以前の段階でも、どの業務から・誰が・何を KPI に小さく実証するかという設計の問いは同じだ。 Vercel の事例は、その先に効く設計論として読める。

気になったところ、一緒に議論しませんか?